コンテンツは良く噛んで食べなさい!

そんなことを言ってくれる家庭は、日本中探しても無いのだろうね。
ごはんは良く噛まないと怒られるのにね。

今のオタクはコンテンツの供給過剰に流されて、第二世代オタクが考察を通じて、第三世代オタクが二次創作を通じてやってきたような、ひとつの作品を骨までしゃぶりつくす貪欲な気概を失ってはいないでしょうか。

オタクの本当の危機 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

この流れ自体がまるっきりNGだとは思わない。短い時間でお手軽に、分かりやすいところで皆と一緒に楽しみましょう。コンテンツのファストフード化、おおいにけっこう。

でも、プレイヤーが盲目的に優れたコンテンツを消費し続けられる世界って、デベロッパーやパブリッシャーの責任がメチャクチャ大きくなるよね。全てのコンテンツが『善』でなくてはならないから。

例えば、ネット上で何かを公開するにはFTPを使ってアップロードしなきゃならなかった時代と、ローカルと同じようにドラッグ&ドロップでアップロードできる今とでは、プレイヤー側のシステムへの理解度は全然違う。手軽で簡単であるほどプレイヤーは増えるけど、理解度が低くなるほどプレイヤーのリスクが増えることは、ネットの普及過程を見てきた僕らは十分に学んでいるはず。

幸い、ネットではその理解度によるリスクを付け狙った悪人がいる一方で、クソ真面目にリスクを補うルールやセキュリティの構築・運営に従事してくれた人たちがいた。だからこそ、超絶便利だけど不安定なインターネットが一定の信頼を獲得し、これまでの普及と発展があったわけだ。

じゃあオタクコンテンツは『善』であり続けられるかって、正直無理だと思う。
せめて善と悪のバランスを保ち続けられるかって、それも無理だと思う。

まず、コンテンツの善悪を『考える余裕が制作・製作の両方に無い』『考える権限と責任がどこにあるのか不明瞭』『考えられる人材を育てていない』の3連コンボ。じゃあ他所から連れて来れば良いって、そんな優秀なやつ雇えるほど関係企業に体力が無いよね。オタクコンテンツに尋常じゃない愛情と技術を持ってはいるけど「業界人じゃ生活できない」って別の道を選んだ人が、コミケのブーステーブルの向こう側にいっぱい座っているよ。既にブースに座ることすら止めてしまった人もいるけど。

もう、歴史・文化レベルでオタクコンテンツを考え、そこから新しい価値を生み出す役目は、同人のごく一部と個人にしか残ってないと思うよ。いつまでも手弁当で頑張れる人の才能に頼るだけの世界ってのも、悲しいものがあるけどね。