読書力は読み続けなければ失う

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本が好きだ。本の虫と呼ばれはしなかったけど、昔から読書量が多い方だった。でも一時期だけ全くと言っていいほど読書をしなかった時期があって、それが広告代理店で働いていた1年ちょっとのこと。

その後仕事を辞めたばかりの僕は「これで自由にたくさん本を読めるぞ」とブックオフで目に付いた本を掻き集め、何人かの書評ブロガーの意見に従ってアマゾンの注文ボタンをクリックした。そして僕は以前のようにコーヒーを傍らに置いて最初の1冊を手に取り、すぐに自分の異変に気が付いた。本の内容が全く頭に入ってこない。

まず第一の問題として、本に集中できない。文字を目で追いながら、今日は何時ころに食事を取るべきかなどと、どうでも良いことがつい頭に浮かんでしまう。更にそんなことに思考力を割いているので、本の内容を頭の中で映像化できない。小説であれば映画のように、ブルーバックスはドキュメンタリーのように思い描けた想像力は、僕の履歴書を見ている採用担当者のしかめっ面を浮かび上がらせる程度でしかなくなっていた。もちろん、こんなことでは本を読んだとは言えない。気に入った本であれば、一字一句ほぼ違わずにコピーしていた僕の記憶力は、今では一冊読み終わった直後でも前半のほとんどを忘れてしまっているほどだ。

僕は特別な人間ではない。だから以前のような読書力も、生まれながらに持っていたわけではない。初めて読んだ新聞記事が面白かった。憧れの女の子と共通の話題が欲しくて、彼女が読んでいたものと同じ小説を手に取った。僕が本を好きになった切っ掛けはもう覚えていないけど、きっとそんな小さなことだったのだと思う。そうして始まった読書という習慣が、知らぬ間に僕の集中力や想像力を養ってくれていた。まさに「継続は力なり」を自ら実践していたわけだ*1

人間は苦労せずに手に入れたものは、周りが羨むようなものであっても簡単に捨ててしまう。その一方で、苦労して手に入れたものを捨てるのはとても勇気の要ること。では自然に習慣の中で培われ、持っていて当然であったものを失った時はどうすれば良いのか。今も僕には分からない。失ったものを知った僕は、本を読むことを拒絶するようになった。もちろんずっと本は好きだ。読書も好きだ。でも本を読む度に失った事実を思い知らされることが、とても辛い。

ロボットアニメ『トップをねらえ2!』に登場する元パイロットのカシオ・タカシロウは、年齢とともにパイロットとして必要な超能力を失う前に引退し、現役パイロットの世話役になった。彼はパイロットという仕事がとても好きだった。だからこそ自分がパイロットではなくなることを恐れ、自ら現役パイロットに最も近い立場を選んだのだろう。そして結局、カシオは物語後半に力が失われていたことを認め、ロボット整備公社の一整備員として再出発することになる。僕も彼のように失ったことを受け入れ、本を読むことに関して今の自分やり方を考えなければならない。

自分が好きで続けられることは、どんな障害があっても止めてはいけない。止めて良いのは、それ以上に好きなことを見つけたときだけだ。

*1:僕に「継続は力なり」という言葉を教えてくれたのは、小学生のころ通っていたそろばん教室の先生だった。そろばんも今となっては古臭い習い事なのだろうけど、頭と体(指先)を使って何度も繰り返し数字に慣れ親しんだ時期があったからこそ、その後も数学で落ちこぼれることも無かったのだと思う。