お相撲と梨

夕食の素麺をするすると腹に流し込んだあと、まだ余裕のある腹の虫にトドメを刺すデザートを探して冷蔵庫の野菜室を開けた。甘酸っぱいプラムを期待したが姿はなく、デザートの候補は巨峰か梨となり、祖父母も食べやすいだろうということで梨を取り上げた。

側にいた父はそれを見て「その梨はドコソコでもらってきたんだ」と言った。はて、ドコソコとは何だったか。この辺りは同じ苗字の家が多いからか、それぞれの家を苗字とは別の呼び方をする。味噌や醤油を作っていた我が家は、それらの材料となる麹にちなんで「こうじや」と呼ばれる具合だ。しかも親戚と変わらぬほどご近所付き合いも深いので、僕に至っては親戚とご近所の区別が付かない。しかし、僕の記憶に照らし合わせてみても、ドコソコという家は見当たらなかった。

僕は手に掴んだ梨に視線を落とし、はたと顔を上げて「ああ、相撲か」と言った。相撲と言っても、両国で梨をもらってきた訳ではない。この辺りの集落には、子どもたちが『お相撲』と言っていた行事があったのだ。

客人の増えるお盆が過ぎ、夜には秋の虫が存在感を増すころ、集落の子どもたちが相撲を取った。公道なのか私有地なのか分からぬ田畑の間を通りぬけ、こんもりと盛り上がった森の中に入る。すると目の前には木に覆われた坂道が現れる。森を切り開いただけの長い坂道だ。薄暗い森の中で見ると、その坂の頂上は陽の光に覆われていて、ゲームであれば伝説の聖剣を手に入れるに相応しい雰囲気だ。頂上へ登りつくと、そこは今どきの家を一軒建てるには十分に開けている。真ん中には集落の男衆が作った土俵があり、その向こうに小さな祠のようなものがあった。

番付表などなく、その場の思いつきで取り組みが決まる。取り組みごとに懸賞の代わりの梨が2つ用意され、買った者は大きい方を、負けた者は小さい方がもらえるという具合だ。まずは年の近い者同士での取り組みが行われ、一通りそれが済むと年長組が年下たちの相手をする。これが大いに盛り上がる。年下の子どもたちは年長組に泡を吹かせてやろうと、ここぞとばかりに必死の形相で喰らいつく。真っ赤な顔をして、自分より大きな相手をグイグイと土俵際まで追い込んでいく。だがここからが厳しい。先程まで押していた相手が、土俵際にきた途端に全くもって動かなくなる。誰かが教えるわけでもなく、年長組は年下相手にこのような相撲を取ることになっているのだ。ここまできてあと一歩の年下は、目の前の勝利に向かって一向に進まぬ足をずるずると滑らせ、また前に持ってきて踏ん張り直す。しばらくすると年長組が「辛抱堪らん!」と言った具合に年下を軽く投げて土を付けさすか、ヒラリと避けて勢い余った年下を土俵の外に飛び出させる。勝敗が決まると双方へ賞賛の拍手が浴びせられるが、大きい梨をいただくのは無論、勝者だ。全ての取り組みが終わると、戦利品を両手いっぱいに抱えた子どもたちは母や祖父母の待つ家に帰った。

今は相撲を取る子どもも無く、年に一度のこの時期に集落の男衆がその場所を整理しているだけのようだ。もう正確な場所も忘れてしまったが、近いうちに様子を見に行ってみようか。